モノを作っていると、巨大な(時には瑣末な)敵に遭遇して打ち拉がれることが多々ある。
もうやめちゃうか?
何でやってんだろ?
誰も助けてくれない・・・
文句ばっか言いやがって・・・
的なね。
今日は、この富野監督の『映像の原則』を朝から読み始めて、すっかり癒された。
いや、癒された・・・って言い方はおかしいか?
勇気をもらう?
自分もこれでいいんだって、少しだけ認められる?
・・・そんな感覚を戴けたのだ。

アニメータの生き方というか、そんな漠然とした啓発本ではなくて、この本は、コンテの描き方が、徹底的に実践的に書かれた技術書と云っていい。
だからこそ、共感できるのだ。
僕はアニメータではないけれど、バラエティ番組の制作者として、今まで「こう想う」と闇雲に信じて盲滅法に行ってきたコンテンツ制作技法が、間違ってなかったんだと、富野監督に厳しく指導されたとでも云うか。

人生が辛いのは、その道程が厳しいからじゃないんだ、と想う。
きっと、その道程が、空虚だと辛いのだ。

「そして“どのように美人であるのか”と描くことが作品のテーマになり“その美人がスポーツをやっている“というのが作品の発端になって、“その美人は振られてしまった“というのがストーリーのアイデアになり“振られた結果、美人はより美人になった“というのが、最終的なキーワードになります。
その結果“走ることの素晴らしさに目覚めた人は本当に美しい“というのがアイデアとストーリーを帰結させるためのプロットになって、表現としては、“その走り方とは、呼吸をしないある一瞬“に表現の力点を置いてみる、ということで、こういう視点を手に入れると映像作家は燃えるのです。
そのストーリーのドンデン返しとして、“美人でなくても美人になれる“という普遍的な真理を語ることで、ストーリー・テリングに高めることができるのです。
そして、それは本当におもしろいよねというのが、作品評になります。」p.72